議論ー教育の質

レベルの低下は誰の責任?


 
最近相次いで大学生の学力が低下したことが指摘されている。
授業についていけない生徒が増えたなどと言われる。
しかし、私はこれで大学生を攻めるのはお門違いではないか。

なぜなら、教える側の問題も往々にしてあるはずからである。
教育は一方的なものでなくinteractiveなものである。
しかも、教わるより、教えるほうがはるかに難しい。
教わるのは100%の理解は必要ないが、
教えるには100%の理解が必要である。
現在どれだけな優秀な教師がいるのか?
個人的な体験では、ためになる授業をしてくれたのは、
ほとんどが予備校の講師である。
当然である。
彼等はアンケートの結果が悪いとすぐくびだ。
学校にもいい教師はいたが、
私学の進学校がゆえで、昔から居た教師にろくなのはいなかった。
むろん大学の教員も教育に関してはほとんど競争がない。
ろくな授業ができない奴が多いのは想像がつく。
研究の世界での競争も甘いが、教育に関しては酷いものである。
学力低下に関しては、ほとんどが教員側の責任ではないであろうか。
難しいことを難しく教えるのはばかでもできる。
難しいのは、難しいことを簡単に教えることだ。
それができない教員が多すぎる。
大学がレジャーランド化しているのも、魅力ある教員が少ないからで、
それでは授業にも出たくないであろう。
実際いい授業では、立ち見も出て、教室は静寂に包まれ、だれも居眠りなどしない。

現在の大学の問題点はほとんどが教員側にあるといえるであろう。

では、昔から大差ないはずなのになぜ「低下」なのか?

学問というのは日進月歩で、どんどん新しいことがわかる。
高校までの教科書には古文書のようなことしか書いていないという批判もある。
(実際今から考えると高校の生物の教科書はうそばかり、
というといいすぎだが、誤解を生じる記述が多い。)
そうなると必要とされるのは、早期からの専門化である。
何か学問をなし得ようとするなら早いうちから専門を定め、
必要に迫られ、基礎を学んで行かなければ、ついて行けないということになる。
それにもかかわらず、高校での選択はせまい。
中学は全科目履修する。
これでは、きちんとして専門家がそだたないであろう。
高校までの履修のほとんどが無駄になってしまう学問も多い。
そういう中で、日進月歩の学問を広く学習してきた学生に
高度に専門化された専門家の大学の教員が出会っても、
ろくな教育ができないのではないだろうか。
昔はまだ、わかっていることが少なかったため、
教員側も幅広い知識もあったろう。
もちろん早くから専門化をしても同じ問題は残るのだが、
過渡期に専門基礎に関しては、
「教育のプロ」が教えなければ駄目だろう。
大学の教員は「研究のプロ」が多いのだ
(それですらもない連中がほとんどだが。)。
私は高校時代に予備校、学校でそういう人間に会えたので、
比較的すんなりと、今の専門にたどり着いた。

いずれせよもっと柔軟で、競争原理を
活用した教育システムにしない限り、
いい人材は育たない。
そして、人材こそが一番の財産である。
それを重視しないこの社会はまちがいなく衰退していくであろう

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