SF-tuzureoriF18


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(2000-18)

−2000年9月16日−


『フリーダムズ・チャレンジ:アン・マキャフリイ』


 アンワールドの<フリーダムズ三部作>の完結編。      
昨年の5月に、前作『フリーダムズ・チョイス』について書いたと
きにも触れたのだが、これはアンおばさんの自己愉悦の世界だとし
か思えない。アンは物語ることの愉悦のなかを自由に存分に楽しん
で書いている。その息遣いが読み手をも捉えるという類いの作品。

 この作品も含めて、フリーダムズ三部作はSFとしても、またコ
ンテンポラリーな表現としても、なんの特筆すべきものもない。 
 ただただ、アンおばさんの、楽しくて楽しくて仕方ないといった
筆致が心地良い。                      
 主人公たちは前作までの流れのなかで、よりキャラクターを典型
化して、複雑さを排除していく。理想的な<人格者>と化していく
キャテン人のザイナル。アメリカ女性の典型として好ましく描かれ
るクリス。古典的なヒーローとヒロイン。読み手としては予め三部
作という構成も承知しており、なんとか不満を抑えながら最後まで
つきあうことはできるだろう。                
 しかし、本当にこの作品はコンテンポラリーな地平にあるのだろ
うか。最後まで消せぬ疑問。                 

 筋書きは「地球が異星人に侵略され、投擲された惑星で人類とそ
の友人となった異星人たちとともにレジスタンスに立ち上がる」と
いう冒険活劇風のもの。何番煎じか知らないが、このプロットには
なんの目新しさもない。キャテン人のザイナルと米国人のクリスの
ロマンスが物語のコアとなっているが、この辺りは米国人らしいと
も言える。そもそも異国を開拓するフロンティアであった筈の米国
人たちが、自ら世界標準となってしまった現在、自らの文明・文化
とは異なる文明・文化との出会いへの憧れにロマンを夢見る、とい
った風にも読める。                     
 だが、このあたりはまだ許せる。アンおばさんの嗜好の問題だと
考えてもいいからだ。しかし、アンは少々表現を舐めてはいないだ
ろうか。                          

 どうしても、支配者であるエオス人の描き方には不満が残る。 
<頓馬、間抜け>といった罵詈雑言が似合うような描かれ方には興
を削がれるばかりか、物語を進めていくうえでのご都合主義によっ
て、彼らはあのような低俗な存在に貶められているといった気さえ
してくる。残念なことだ。                  
 そして、レジスタンスの同胞である筈の<デスク人>や<ルガリ
ア人>の薄っぺらな描かれ方にも不満は残る。おそらく終盤で登場
するマサイ族の描かれ方も同じ問題なのだろう。アン・マキャフリ
イという現代米国の知的な女性の有する世界観の底浅さ。    
 やはり米国的な知性は、もはや20世紀とともに過去のものとな
っていくしかないのではないだろうか。            

 結局、最後まで<ファーマーズ>と呼ばれる至高の存在は<神>
のように振る舞うだけだった。いろんな未消化なものを残したまま
フリーダムズ三部作は終焉を迎えた。いろいろと批判ばかり繰り返
したが、軽い読み物として楽しむならばそれもいいだろう。   




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