SF-tuzureoriF12


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(2000-12)

−2000年6月10日−


『失われた宇宙の旅2001:A.C.クラーク』


 もうひとつの「2001:スペースオディッセイ」。久しぶりに
クラーク節を堪能することができた。             

 この『SF綴れ織り』の第1回目が「3001」だったように、
私にとって、クラークは特別。10代にあの「2001」を映画で
観ることがなかったら、そしてクラークの小説を読むことがなかっ
たならば、私は今日までSFを読み続けてきたかどうか、自信がな
い。キューブリックとクラークに心揺さぶられることがなかったな
らば・・・。そのような私にとって特別なモニュメントである「2
001」に、もうひとつの物語として出会うことができた。満足。

 もう30年近い歳月が経つのか、という感慨。あの映画と小説が
同時に進行した希有な作品「2001:a Space Odys
sey」の、クラークとキューブリックの協同作業を窺い知ること
のできる貴重な記録だ。そして、同時にあり得たかも知れない幾筋
ものプロットが再現される、多元的な作品集としても貴重だ。  

 あらためてキューブリックがこの作品に与えた影響の深さを知る
ことができた。もともと、この「2001」はクラークの名作であ
る「幼年期の終り」の陰影が濃い作品だと思っていたが、クラーク
自身のライフワークというか、彼の終生のテーマだからと思ってい
たのだが、むしろキューブリックの主張で「幼年期の終り」の悪魔
テーマが取り込まれた、とクラーク自身が書いている。そうだった
のかと納得。このエピソードだけではなく、クラークの記録を読む
かぎり、キューブリックという天才の凄まじい作品へのこだわりを
知ることができる。この巨匠と天才の、飽くなき作品へのこだわり
を知るだけでも本書を読む価値はある。            

 本書は実際には1972年に出版されている。もったいないこと
だ、と思うと同時に、いや映画を観て2〜3年しか経っていない時
期に本書を読んでいれば、混乱していたかも知れないとも思う。 
 いずれにしてもこの時期に邦訳された伊藤典夫氏には、感謝。 
伊藤氏の「訳者あとがき」も共感できるものだった。      

 さまざまなエピソードが、映画や原作に取り込まれることなく、
捨て去られたのだが、そうした断片的なものを拾遺した作品として
も秀逸である。あの人口知能HALの前身であるソクラテスやアテ
ーナと出会えたのも幸運であった。とくにソクラテスはアシモフ流
の<ロボット>そのものであり、アシモフのロボット工学三原則が
出てくるくだりでは思わず苦笑してしまった。楽しまれたい。  

 しかし、クラークやキューブリックの問いかけた「人はどこから
来て、どこへ行くのか」という根底的な問いを、今も同じ重さで感
じることができる。この問いの重さは、今もSFの、いや私たちの
テーマたりうるし、モチベーションたりうるのだ。       




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