SF-tuzureoriF11


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(2000-11)

−2000年5月28日−


『時の扉をあけて:ピート・ハウトマン』


 原題は「Mr.Was」。訳者はミスター・ムカシと訳した。 
最近、こうした<タイムスリップ><タイムトンネル>ものを読む
機会が多かった。だが、いずれにも共通して言えるのは、こうした
時空を超えることへの科学的な関心や、宇宙物理学的な視線を含ん
でいるとは言えないということだ。作者たちの関心は、むしろ現在
の私たちの社会的問題へ注がれている、といったほうが良い。  

 この物語そのものは、作者ピート・ハウトマンが拾ったノートを
素材として、摩訶不思議な<時の扉>をあけてしまった少年ジャッ
ク・ランドの人生が語られるという構成をとっている。けっして爽
快なお話でもないし、SFらしいセンスオブワンダーとも程遠い。
それでも読み進んでしまうのは、ジャック少年のおかれた家庭環境
や、彼自身の心的な葛藤から目が離せないからだろう。1993年
から1930代へ、扉を戻ると1993年へ。それから数年経ち、
ジャックはまた<時の扉>をあけ1941年へ行く。アルコール中
毒の父親がバットで母親を殴り殺すという凄惨な場面から逃れるよ
うにして。そして過去の時代でジャックは恋をし、友人との三角関
係に悩まされるが、実はその恋人とは「祖母」であり、ライバルと
なる友人は「祖父」であるというトリックが仕掛けられる。こうし
た物語のうえでの矛盾を強引に展開していく背景には、心理学的な
視線なしには理解できない側面がある。この1冊目のノートで語ら
れる物語は、実は歳を重ねたジャック自身が1952年に書き記し
たと巻頭で語られている。こうした時制の交錯は、ジャック自身の
心的な物語を語るために用意されたもので、けっしてSF的なトリ
ックではないので、虚心に読むといいだろう。         

 2冊目のノートは、第二次世界大戦の戦場「ガダルカナル島」で
のジャックの手記となっている。作者は、ある痛手をおった精神が
追い込まれていく心理的なプロセスを、あの「ガダルカナル島」と
いう凄惨な戦場を借りて描いたとしか思えない。背後にはベトナム
戦争という米国の、いや世界のトラウマがあるとも思える。   
 さらに3冊目のノートは、戦争後遺症で記憶をなくしたジャック
が「ミスター・ムカシ」と自称する経緯が、海軍病院の記録として
綴られる。そして、このノートの最後では「ミスター・ムカシ」の
1993年の体験が綴られる、というようにループしていく。  
 4冊目のノートで、全体の種明かしがされるのだが、疾うに読者
はこれらの全体像を理解しているだろうから、むしろこれは作者自
身を得心させるためのものでしかない。作者ピート・ハウトマンの
1999年12月31日の文章でこの物語はやっと語り終えられる
こととなる。まったく、「世にも不思議な物語」に仕立てるための
、乱雑な道具立てとしか思えない。実は、この物語はジャックとい
う少年の心的な体験に借りた<こころ>の旅路、そして病んだ精神
の治癒過程について語られたもの。作者は本当はそれだけを語りた
かったに違いない。                     

 創元SF文庫の巻末に、菅浩江氏が書かれた解説「アダルト・チ
ルドレンの立場から」は、この物語の謎解きを心理学的な或いは心
理療法的な立場から明かされている。「なるほど」と得心のいく解
説なので最後に読まれると良いだろう。            

 ピート・ハウトマンは、どうしてこのような手法でこの主題を作
品としたのだろうか。作者への関心と同時に、SFというジャンル
がこのような逸脱を避けられなくなっているのだろう、という予感
にも突き動かされる。物語というものは、いつも<こころ>を避け
て通ることはできない、とも思うから。            




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