SF-tuzureoriE3


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-19)

−1999年12月11日−


『ファイナルジェンダー:J.A.ガードナー』


 ジェイムズ・アラン・ガードナーの作品としては、『プラネット
ハザード』に続く2作目。本編も前作同様に読みやすい。    
 この作家は物語の設定をやたらと複雑にしたり、時間軸を多様に
交錯させたり、といった表現技法にはあまり関心はないようだ。 
 この文庫二巻にわたる長篇も、たった一日程度の出来事を丹念に
そして軸をぶれさせることもなく展開していく。その意味では、最
近珍しいくらいに<読みやすい>作家であると言えるだろう。  

 本編の主題は、もともと生得であるとしか考えられなかった生物
学的な<性差>(ジェンダー)を、もしも両方を体験することがで
きるとしたら、そして、20歳のときにどちらかを選択することが
できるとしたら、という作家の着想に尽きる。         
 だが、私たちはゲイ等の存在を通して、現在では、<こころ>と
<からだ>の性が一致しないことも認知しているし、<男性的なる
もの>や<女性的なるもの>がひとりの人間(個体)のなかに共存
していることも自覚してしまっている。            
そのとき、この主題は大変、関心深いものと言えるだろう。   
 そのような期待をもって読み始めたのだが、あまりにもガードナ
ーの描く、男性・女性・中性(これは中間ということではなくて、
両性具有なのだから両性と言うべきかな、、)の描写が類型的すぎ
て、少々残念だった。                    

 物語は前作『プラネットハザード』で描かれた、謎めいた高次の
知的生命体によるルールが確立した<種族同盟>の支配する宇宙未
来史における25世紀が舞台で、多くの人類が地球を脱出した後に
とり残された地球の一地方が舞台である。その<中世>風地球のな
かでもさらに風変わりな地域、<トバー入江>での1日の出来事が
綴られる。そこでは1年に1回、19歳以下の子供たちには「男性
から女性へ、女性から男性へ」の性転位が訪れる日、20歳を迎え
た者には最終的に性を選択する<最終性選択の日>が訪れる。  
 主人公フリンを通して、私たちは飽くまで主題の中心部へではな
く、主題の周辺部を散策することになる。だから主題への関心から
読みはじめると多少がっかりするかも知れないので、過大な期待は
しないように。たとえば、トバー人は20歳の最終性選択を迎える
前に必ず出産を経験し、育児をはじめることになっている。最終性
選択を決める前に、『われわれは女性になるについてのいっさいを
知らなければならないし、男性になるについてのいっさいを知らな
ければならなりません。そうすることで初めて、正しい性選択がで
きるというわけです』というくだりなどには、思わず首肯してしま
う。毎年、性の転換を経験することによって、このトバーの人々は
<性>を選択できない私たちよりも、もっと豊かな人間性を獲得で
きるのではないか、というガードナーの主張はわかる気がする。だ
が、そうであるならばもっと表層の人間性ではなく、私たちが直面
している現在の<性>の課題へと踏み込んでほしかったとも思う。

 そのような過度の期待さえ持たなければ、ガードナーの作品はと
ても読みやすく、そこそこに面白いと言えるだろう。このようなテ
ーマは、SFの世界でも今後も継承されていくことだろう。文庫本
の「解説」を書かれた渡辺氏の指摘するように、この作品は主人公
フリンを通した『一種の青春グラフィティ』として読むのがいいの
かも知れない。いずれにしても、ガードナーの続編は、この未来宇
宙史が展開されるようなので、期待したいところだ。      




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