SF-tuzureoriE1


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-17)

−1999年10月10日−


『宇宙消失:グレッグ・イーガン』


 Quarantine・・・検疫、隔離。この原題の醸し出す印
象は、この作品自体の構成する世界にきわめて忠実だと思う。その
異様さが何なのか、この物語の粋は全てその点に帰納していく。 

 グレッグ・イーガンという、90年代に彗星のように現れたオー
ストラリアの作家の作品をやっと読むことができた。噂通りに凄い
という印象を覚えた。量子力学という現代物理学のもっとも偉大な
成果であり、かつ素人にはもっともわかりにくいコンテンポラリー
な難題を、このように料理してしまうのかと敬服してしまう。  
 物語はまるでサイバーパンクの世界のように、『モッド』という
ギミックを与えられて活性化する。この『モッド』とは、脳神経を
再結線して、脳自体にデコード機能を持たせるという夢のようなツ
ールである。最初に登場するモッドは「暗号書記」といい、映話通
信を脳のなかで行えるという代物である。これがあると、映話通信
機からのデジタル信号を直接、視覚・聴覚中枢で送受できるという
理屈なのだ。さらに「夜間交換機」というモッドが登場する。これ
があると、受信した信号を脳内で五感に翻訳せず、直接知ることが
できる。これは目覚めているときには通常の五感が邪魔をするため
睡眠中にしか使用できない。それで「夜間交換機」というわけだ。
このあたりでくらくらしてしまう。想像はできるが、どうしてもリ
アルに感じることはできない、<夢>の世界のような浮遊感。それ
がこの作品の特徴でもある。モッドに関しては、この後も次々と用
途別にさまざまなものが登場する。「バックルームワーカー」「ボ
ス」「星球儀」「デジャヴュ」。「P1」から「P6」までの警官
用の強化モッド。「レッドネット」「フォン・ノイマン」。第1部
だけでこれだけのモッドが登場する。いわば現在のコンピュータの
機能を脳内に再現する「フォン・ノイマン」などは、いかにもあり
得そうなもので、誰もが電卓を使いこなしているように、「フォン
・ノイマン」があれば簡単なプログラムを脳内でエミュレートする
さまを想像することすら可能である。しかし、極めつけは主人公の
ニックの亡くなった妻「カレン」を再現するモッド「カレン」であ
る。ニックはこのモッドを維持することによって、永遠に死んだ妻
と共生するという擬似体験を失うことがない。したがって、妻カレ
ンを現実に失ってからも再婚することもなく過ごすことができる。
いずれにしても、この『モッド』というギミックが、かつてのSF
の世界によく登場した脳神経へ直結するような神経プラグといった
メカニカルなものでなく、バイオテクノロジーの進化を想定したナ
ノマシンを鼻から吸引するといったところが90年代的ではある。

 物語は次に<バブル>というギミックを登場させる。2034年
11月15日、突然、太陽系を完璧な球体が覆った。地球の空から
は星ぼしが姿を消す。物語はその30数年たった2068年。ここ
からは量子論への関心に突き動かされ、物語は意外な展開を加速し
ていく。「シュテルン−ゲルラハの実験」「シュレディンガーの猫
」といった有名な量子力学における『波動関数の収縮』に関する実
験や推論が登場する。これは素人には、前野氏の解説を読んでもわ
かったようでわからない世界である。論理の積み重ねを辿ることが
できても、いざ私たちの知覚できる世界で想像しようとすると砂の
城のようにぼろぼろと崩れてしまうような感覚。この危うさを、か
なり強引に物語にしてしまうグレッグ・イーガンの剛腕さは、好き
嫌いの別れるところだろう。当然、『波動関数の収縮』とは多元宇
宙論、多世界モデルへと物語を誘う。時間線を不可逆的にしか経験
できない3次元生物である私たちにとって、イーガン流のこの異様
な世界解釈を簡単に受け入れるのは難しい。どうしても納得はして
いないのだ。だが、楽しむことはできるし、また、考えさせられも
する。いったい私が唯一無二と感知している<現実>とは量子論的
な宇宙モデルのなかでは、どれだけ堅牢であるのだろうか、と。 
 あくまで、物語はユング的な<夢>の世界のように漂い、加速す
る。その加速感で読み切ってしまえばいいのかも知れないが、主人
公ニックにとって、物語の前半では終生の敵であった筈の『奈落の
子ら』というカルト集団も終盤では掻き消えてしまうし、物語のコ
アに位置すると思われた謎めいた『アンサンブル』というハイテク
企業集団も終盤では存在感を失う。まあ、そういった人間集団など
問題にならないような結末から考えれば、大したことではないのだ
が、この作品の物足りなさはその唐突さにあるように思う。   

 だが、この作品が表象する、エッジのうえを歩いているような危
うい現実感覚、いつも見当識の喪失に悩まされている<不安>の感
覚はコンテンポラリーだと思う。私たち<個人>の過去の記憶でさ
え完璧ではない。常に人生における選択を繰り返すなかで、私たち
は記憶を消去したり抑圧していたりする。そのような不安定な記憶
は、わたしたちの人生そのものを表象している。        
 わたしたちの<現在>とは、いつも少し前に経験された世界の記
憶でしかないのかも知れない。脳神経のニューラルネットのなかに
記憶されたものでしかない<現在>。そのことを考えさせずにはお
ない多元宇宙モデルの世界。イーガンは繰り返し、その危うさのな
かへ切り込んでいこうとする。そうした試みはあってもいい。  




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