SF-tuzureoriD8


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-14)

−1999年7月6日−


『マイノリティ・リポート:P・K・ディック』


 ここのところ、「SFにおける小説と映画の相関」という主題か
ら離れることができない。意図したわけではないのだが、本短編集
もこの主題に密接な作品集として編まれている。これまで文庫本で
は未収録だったディックの短編が集められたわけなのだが、タイト
ル作となった「マイノリティ・リポート」がスピルバーグの手によ
って映画化されることが決まった、ということがトリガーとなった
そうだ。おまけに、あの映画「トータル・リコール」の原作「追憶
売ります」も収録されている。「ブレードランナー」をはじめとし
たディック原作の映画の人気からすれば、このような展開は考えら
れることではある。いずれにしてもディック・ファンとすれば、こ
の展開はありがたいことではある。垂涎ものの短編集だから、ね。

 1950年代の作品を中心に、60年代、そしてデビュー前の作
品が収録されている。ここには70年代以降の観念的な陰影の深い
、馴染み深いディックのイメージとは異なる、瑞々しい着想だけで
書き抜ける若きディックが躍動している。アイデア勝負で突っ走る
ディック。20世紀のSF作家が皆、予知能力者(プレコグ)であ
ったと信じられている未来世界からタイムトリップしてくるという
「水蜘蛛計画」などは、心底笑える。こういう楽しさもあり、だ。


 現在では、小説から映画が作られる、という順序性は絶対ではな
い。あの「ブレードランナー」のように、映画の続編が小説として
出版される、ということもありなのだ。既に「SFにおける小説と
映画の相関」とは、そのような地平にあると言っていい。だから、
映画人気に乗じて、短編集があらためて出版されることも道理なの
だ。だが、このようにそれぞれが、「小説と映画」が各々の領分に
留まる時代はいつまで続くのであろうか。既に巨大な産業ビジネス
として、デジタル・パワーによって突き進む映画。相変わらず作家
の資質や才能に依存する小説。しかし、そのどちらもが古典的な表
現世界だった、と懐古される時代がやってくることだろう。そこで
は、ディジタル・コンテンツへと収斂する奔流のなかでの統合が待
っているのだろうか、それとも現在の私達の想像力を超える変容が
待っているのだろうか。いずれにしても興味深いことではある。 








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