SF-tuzureoriD5


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-11)

−1999年6月19日−


『大いなる復活のとき:サラ・ゼッテル』


 原題は「RECLAMATION」。            
 文庫本ではあるが、上下巻で800頁近い長篇である。しかも、
邦題が『大いなる復活のとき』とくれば、多少の先入観が入り込む
ことを排除するのは難しいものだ。              

 映画を観るように楽しめた、という感想が私の想いを少しは伝え
てくれるであろうか。映画のテンポを備え、既視感に満ちた作品。

 遠未来の銀河に繁殖した人類の子孫たちは、異なる星系に散り散
りとなり、異なる文明・文化を育み、いくつもの星系にいくつもの
人類文化圏が生まれる。それらはときには争い、また提携し、そし
て人類とは異なる知性体「シセル異族」と出会い、共生するまでに
版図を拡げた。だが、それほどまでに拡がった人類文化圏は、自ら
の出自と歴史を欠落させてしまう。ミッシング・リンクの未来版と
でも言おうか。それは<進化ポイント>と呼ばれ、その謎を解く鍵
となるであろう世界が見つかった。<施界:レルム>と呼ばれる、
大いなる壁に遮蔽された閉ざされた小さな星が舞台となる。そこは
堅いカースト制と伝説が支配する、<中世>のような神秘の世界。
主人公エリクとアーラもこの<施界>の出身であり、故郷の星を捨
てた筈なのに、運命の糸は再び故郷の星へ主人公たちを誘うという
まことに映画的な物語なのだ。人類の子孫たちは<ヒト科:ヒュー
マン・ファミリー>の再結集を図る統一派と呼ばれる一派と、高度
な技術力で銀河中に遍在しながら故郷の星を持たない<ルドラント
・ヴィタイ属>とが一触即発の状態にある。しかも、この争いは全
て<施界>に火種を持つらしい。次々とテンポ良く、謎が明らかに
されていく。結末ですべては明らかとなるのだが、冒頭に述べたよ
うに、『大いなる復活』を期待してはならない。<施界>に伝わる
<無名秘力>が復活し、銀河世界はドラスティックな変化を迎える
ことになる、とはならないのだ。ただ、<無名秘力>の実体が明ら
かになり、全ては納まるべきところへ納まるだけなのだが、原題の
RECLAMATIONを意識すれば、なぜ<施界>が物語のコア
となったのか理解できる。小説の題というものは怖いものだ。  


 サラ・ゼッテルはたしかに面白い作家だと思う。彼女の世代では
バックボーンに数多くのSF映画の名作たちがあることだろう。 
 たとえば、「2001」「スタートレック」「スターウォーズ」
「砂の惑星」「ブレードランナー」等々の、どれかにあったビジュ
アルな記憶の残像に出会うような既視感が、この作品には満ちてい
ると感じるのは私だけであろうか。決して否定的に語っているので
はない。現在のSFと呼ばれる小説たちは、このような映画的な世
界と交わり、相関しあうことを避けられないと考えるからだ。とり
わけヴィタイは、あの映画のあれだなってところまでイメージして
しまった。(苦笑モード!!) 作品の随所で使われる、見えない
<敵>を表す<オノランテ・サング:淫らな血>というキーワード
は妙に呪縛的で、<悪魔>などと言われるよりも率直に楽しめた。


 ところで、量子転送(クゥアンタリートランスファー)という概
念が使われている。広大な銀河間宇宙という超長距離では、量子転
送ですら遅延を生じる、というようにネガティブな使われ方をして
はいるのだが。これに符号する話題を思いだした。ひと月くらい前
のWired・Newsで「テレポーテーションと量子コンピュー
ター」という記事があった。ロス・アラモス国立研究所の物理学者
たちは、量子レベルの微小なもののテレポートは行なうことができ
る、と言っているらしい。しかもロス・アラモス研究所にはすでに
量子コンピューターの試作品が存在し、これは、48キロメートル
離れたところまで情報を送ることが出来るものだ、とも語られてい
る。このような現象は量子の不確定性原理に反する、と言われてい
たのが嘘のようだ。テクノロジーは後退することができない。不思
議に向かって、突き進んでいく。小説という想像力は、この現実の
奔流にどこまで拮抗できるのだろうか。ますます危うく、面白い。








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