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SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-8)

−1999年4月29日−


『山椒魚戦争:カレル・チャペック』


 20世紀に産まれた<SF>と総称される文学作品群は、まさに
時代の写し絵なのだ、とあらためて納得させてくれたチャペックの
古典。1936年に発表された、この『山椒魚戦争』には<戦争と
革命の時代>に信じられた世界の構造が忠実に描かれている。当時
のインテリゲンチャにとって信じられた世界観を写し出していると
言ってもいい。<戦争へ不可避に突き進む世界を憂い、シニカルに
人間を問う>ことが、知識人にとってレーゾン・デートル足り得た
牧歌的な時代。こんな<知>と<信>の在り方に、懐かしさを覚え
るほど、私たちは遠くまでやってきたのかも知れない。     

 たしかに若いときにこの作品は読んだ筈なのだが、結構新鮮な気
持ちで読むことができた。訳者の「新版に寄せて」という巻頭言を
読むと、70年代に読んでいることは間違いない。それが新書で出
版された「ハヤカワSFシリーズ」だったのか、その後出版された
岩波文庫だったのか、記憶は曖昧だ。結婚する前、それまでの蔵書
の九割を古本屋に売り飛ばしたので、その頃の愛読書は殆ど手元に
残っておらず確かめようがない。いずれにしても、当時はただ読み
飛ばしたに違いない。                    

 今、ハヤカワ文庫SFに改訳されて刊行された、この『山椒魚戦
争』を読むと意外に面白い。たとえばドイツの山椒魚が「色がやや
白く、ほかの山椒魚より直立した姿勢で歩き、頭蓋骨指数は、ほか
の山椒魚の頭よりも細長いことを示している」なんていうくだりは
諧謔が効いており、思わず笑ってしまう。           
 だが、彼は第二次世界大戦の本当の惨状を見ることもなく、19
39年にプラハに進駐したゲシュタポがやってきたときには、既に
急性肺炎で他界していた。巻末の解説で触れられたこの逸話には、
思わずその皮肉さに、にやりとしてしまった。だがロボットの造語
で知られたこの多才な作家も、永遠に第二次世界大戦以前の時空間
に封じ込められてしまった。結局、チャペックはその知性をもって
しても、時代の枠内にしかその想像力の触手をのばすことができな
かったからだ。<戦前のヨーロッパを中心とした世界>にしか、こ
の作品は広がりを持つことができなかったのだ。もの足りなさを払
拭することができないのは、最終章の『作家が自問自答する』を読
むまでもない。最後の作者の独白、「−それからのことは、ぼくに
もわからないよ」。チャペックは本当に、そう呟いていたに違いな
い。だが、ただ<時代>に対峙する他なかったのかも知れない。 








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