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SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-7)

−1999年4月21日−


『星ぼしの荒野から:ジェームス・ティプトリーJR』


 1970年代中盤から1981年にかけて綴られた短編集。  
あらためてJ・ティプトリーJR(アリス・B・シェルドン)とい
う作家の深さを噛み締めることができた。           

 十編の作品からなる短編集。ラクーナ・シェルドンというペンネ
ームで書かれた作品も含まれており、この作家の多様な視線に軽い
驚きすらおぼえる。しかし、1970年代中期から1981年にか
けて書かれた作品群には、今からみると、なんと時代的な陰翳が深
く刻まれていることか。あまりに素直に作家は作品に時代のなかで
彼女自身が感受していたものを反映していることか。いや作家自身
というよりも、あの時代に<私たち>が感受していたもの。それは
70年代後半の作品には「出口のみえない閉塞感」がきっちりと写
しこまれているし、80年代に入ってからの作品には奇妙な薄明感
が写しこまれている。70年代の作品群の<異星人><侵略><カ
ルト>というキーワードに共通する閉塞感。この閉塞感はどこかで
感じたことがある、と思い巡ると、実は自らの70年代の心象風景
に出会う。なんて、大した作家だなあと感服してしまう。なかでも
『われら<夢>を盗みし者』の自己認識は秀逸である。ああ、私た
ちも<星の涙>を飲む者たちだったのだ、という自認を連れて80
年代を迎えたものだった。ある意味ではとてもわかりやすい作品で
もあるので、是非ご一読あれ。さて80年代の作品にはこの閉塞感
を抜け出た後の奇妙な薄明感と、突き抜けた心象の重さとが混在し
ている。標題の『星ぼしの荒野から』もいいが、『たおやかな狂え
る手に』には<星ぼしを憧れる>原初の衝動が、昇華した心象で描
かれる。文庫本の巻末で伊藤典夫氏が「もう一羽のよだか」という
解説で宮沢賢治との符号を語っておられるが、私自身はこの『たお
やかな狂える手に』という作品にもっとも賢治を感じ、私たちを突
き動かした原初の衝動を受感することができた。        

 ところで一月近くこの「SF綴れ織り」を更新していなかった。
仕事が多忙で、というのは嘘で、結構読み残していた作品や、昔の
作品を読み返したりしていたのだが、F・ポールの『ゲイトウェイ
・シリーズ』は中途半端だなと感じたり、やはりJ・ヴァーリイや
L・M・ビジョルドは面白いと納得したり、読んでいなかったD・
R・クーンツの「人類狩り」はちゃんと読んでおくべきだった、と
思ったりの日々であったので、特にそれだけを書こうという気にな
らなかったというのが真相である。どうも先月から書店のSFコー
ナーではどきどきできない。当座は読みのこしている作品でも読む
ことにしよう。                       

 ところでIE5.0で表示されている方は、行頭がずれて見えて
いないでしょうか?私はMacとWinの両方の環境で見ているの
だが、Macの場合はIEもネスケも4.5で問題ないのだが、W
inのIE5.0でのみ本事象は起きる。IE5.0のためにのみ
チューニングする暇はないので、御容赦願いたい。MacのIEも
5.0になったならば、同様の事象となるのだろうか。厄介なこと
だ。(註:1999/11/28対処しました!! やっとね。)








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