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SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(99-6)

−1999年3月6日−


『幻惑の極微機械:リンダ・ナガタ』


 原題は『Deception Well』。         
「ごまかしの源泉」とでも訳すのだろうか。読み通せば、その意味
深さに心動かされる。どうして『幻惑の極微機械ナノマシン』にな
るのだろうか。前作が『極微機械ボーア・メイカー』だったから?
前作のときも、邦題にいちゃもんをつけたおじさんであった。しか
し、趣味の悪い映画タイトルみたいな邦題はなんとかしてもらいた
いものだ。                         

 ところで、このリンダ・ナガタは素晴らしい。すっかりファンに
なってしまった。前作『ボーア・メイカー』では、その紡ぎ出され
る未来社会にリンダ自身は何を託していたのか、よく伝わらない部
分もあった。バイオ・テクとナノ・テクの進化によって、恰もファ
ンタジーのように見える未来社会。基調は本作も同じ地平にある。
 しかし、本作ではスケールの大きなスペースオペラに脱皮、成長
している。詳細は森下一仁さんが<宇宙・生命・文明>という後説
で的確に語っておられるので、そちらを参照されたい。この後説の
なかで森下さんは”ワイドスクリーン・バロック”と呼ばれる宇宙
活劇を想像させる、と語っておられる。うむ、なるほど、と頷いて
しまう。                          

 物語は主人公の少年ロトの成長とともに、探究の旅へ向かい、そ
の全体像を露わにしていく。少年の自問は、時として根源的な問い
であり、読者である私の、自分自身への問いのように感受してしま
えるほどだ。道具立ても素晴らしい。             
 ダイソン球、軌道エレベーター、陥穽星、カルト集団。古代宇宙
に消えた謎の異星人チェンジーム人。本作では、それら全てが謎を
複雑なタペストリーのように紡いでいる。本作ではその壮大な未来
宇宙における辺境の星が舞台である。この未来史の中心部であり、
数多のダイソン球を抱える”聖大空間群”は時折、顔を出すだけな
ので、これはもうシリーズとして展開するしかないな、とファンの
期待を煽ってくれる。                    

 物語の中盤におけるユリッサの言葉。後半のクライマックスでも
繰り返される言葉。                     
『いつか死ぬかもしれない宇宙のなかで、わたしたちにできるもっ
とも確実な行為は、前進すること。といっても、明確な目標地点が
あるわけではないわ。永続する場所などないし、光輝に充ちた存在
などない。到達すべきゴールラインなどないのよ・・(中略)・・
生命は、混沌の海がはらむ大波を引き受けつつ、そのみぎわで存在
していくしかない。』                    
 その強烈な自認ですら、精神が永遠に生き続ける共生の場所があ
るかも知れない、という幻想に躓くこともある。私たちは、どこか
自分自身の内側に宗教を許容する精神的なプロセスを内包している
に違いない。しかし、それでも私たち人類の本質とは<問い続ける
もの>というところにあるのではないだろうか。        
 そして、エピローグ直前のロト。              
『人間のなかでは無意識によって勝手にものごとが選択されている
のだが、それが見えないせいで、自由意志などという幻想が生まれ
たのかもしれない。それでもロトは、自由意志は幻想ではないと思
うことにした。若輩者くさい気はしたが。』          
 ううむ、リンダは素晴らしい作家である。          

 実は本作は前作『ボーア・メイカー』に連なる未来史であること
が、意外な登場人物によって明らかになる。前作を読んだ方には楽
しみの部分なのでネタはばらさない。久しぶりにSFっていいなあ
としみじみさせてくれた佳作である。是非、読まれんことを。  








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