SF-tuzureoriC4


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-24)

−1998年12月20日−


『フリーダムズ・ランディング:アン・マキャフリイ』


 アンの作品を読まなくなって、どれくらい経つのだろうか。最近
はほとんど読んでいない。したがって、アン・マキャフリイという
作家の全体像を把握しているわけでもないし、またマキャフリイ作
品の強烈な個性から見れば、この作品がおとなしいものなのかどう
かも判定できない。                     
 しかし本作には、私のアンへの偏見である<お姫様><竜騎士>
<戦士>というイメージとは異なる作品の臭いがした。先日もふれ
たことだが、最近、私は今まで読まずに過ごしてきた作品をもう一
度再評価しても良い、という気持ちが強くなってきている。単に齢
をとったということ、自然過程でしかないのかもしれないが、自分
のなかで再評価する気持ちが強くなり、この<フリーダムズ・ラン
ディング>を読みはじめた。                 

 私という<個性>には、あまり変化を期待してもいけないのかも
知れない。新たな気持ちで読みはじめた筈なのに、ちっとも面白く
ないのだ。奇抜である必要も、最新のテクノロジーが必要なのでも
ない。しかし、これでは<西部開拓史><オーストラリア開拓史>
の登場人物に、50年代の想像力の地平にある異星人を加え、60
年代の想像力の地平にあるテクノロジーで味付けし、宇宙という未
知への想像力を能う限り抑制した<物語>でしかないではないか。
 アンの諧謔のセンスによって、辛うじて最後まで眠くなるのを堪
えながら読み進んだ。だからピッチはあがらないし、淡々とした態
度でしか作品と向き合うことはできなかった。         
 このような、少々口悪く言わせていただくならば<陳腐>な作品
を次世代の若者は読むのだろうか。私のようなおじさんにすら、つ
まらない作品なのに。                    

 この時代感覚のギャップは何なのだろうか、と考えてしまう。 
SFではないが、本作と並行して読み進んでいたダグラス・クープ
ランドの『マイクロ・サーフス』は本当に面白い。たしか97年の
<Wired>に抄訳が掲載され、昨年末には角川から出版される
と聞き、出版社まで問い合わせた。「何時、出版されるかわからな
い」という返事にがっかりして、1年の月日が経過していた。流石
にこの1年で、マイクロソフトにもアップルにも、また全てのIT
産業で大きな変化が畝っていたものだから『マイクロ・サーフス』
も少しは陳腐な臭いを放ってはいた。だが、『ジェネレーションX
』以来、私の御贔屓であるクープランドは素晴らしい。ナードやギ
ークの世界がわからなくては、もはや21Cのことは語れないのか
も知れない。日本でもこのような作家は登場しないのだろうか。 
 ダグラスって、村上春樹のセンスを持ったナードとしか思えない
のだが。日本だって、ナードやギークのセンスを持った村上春樹は
何人でも居るのだろうに、とも思う。ただ、作品が顕在していない
だけなのかも知れない。・・・と期待してみる。        
 ただ、なんでもかんでも<ハッカー>と言って片付けてしまうよ
うな知性には永遠に理解できない地平なのだろうけれど、ね。  

 書店に行くと、日本の作家のSF作品の量に圧倒されてしまう。
この世界も私がずっと近寄らなかった世界である。冒頭、述べたよ
うに、もう一度再評価するために読んでみたいとは思っている。 




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