SF-tuzureoriB9


SF綴れ織り

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-19)

−1998年10月31日−


『スノウ・クラッシュ:ニール・スティーブンスン』


 1992年に米国で話題となった作品を、1998年に読む。 
そのタイムラグは、想像以上に大きなものがあるのかも知れない。
 90年代のサイバー・パンクと激賞されたこの作品も、92年に
読んだならば、もっとエッジの効いた作品だったのかも知れない。
 98年の現在、この物語りのなかに鏤められたガジェットの殆ど
に、新鮮さや、私たちの想像力を突き抜けるような鋭利なパワーを
感受することができなくなっている。             

 たとえば、物語のバーチャルな主戦場となる<メタヴァース>も
現在では容易に手の届く技術的地平にある。私の会社の研究所で開
発した<インタースペース>では、まさに<メタヴァース>の原型
となるサイバースペースが実現されている。<インタースペース>
ではHMD(ヘッドマウンテッドディスプレイ)を装着することに
よって、作品のなかの<アヴァター>のように仮想空間のなかで振
る舞うことも、容易に想像することができる。両眼視差によるヘッ
ドトラッキング制御といった技術も実現されており、98年の今日
ではVR(ヴァーチャルリアリティ)は明日の技術的地平ではなく
既に今日のものなのだ。                   
 作品の随所に出てくるハイパーテクノのどれもが、どこか色褪せ
て感じられる。ここには6年という加速された時間の離隔があるか
らだろう。                         
 こうした作品を通底する微妙な<テクノ感覚>は、少しでも古臭
く感じられるならば、作品の面白みを損なってしまう。また、まっ
たくの夢物語りだと感じさせても、面白みを損なうだろう。読者の
想像力より半歩進んでいると、もっとも緊張感のある作品になるの
かも知れない。だが、そういった技術論的想像力の問題であるだろ
うか。いや、いつも私が感じるのは作者の<現在>への眼差しこそ
作品の価値を左右している、ということなのだ。        

 物語りはそれなりにテンポも良く、主人公のヒロ・プロタゴニス
トというハッカー、そしてスケボーを操る配達人Y・Tというクー
リエの女の子も、ふたりとも賢く、好感の持てる若者だ。爽やかさ
さへ感じてしまう。彼等が物語りの核心に迫っていくプロットこそ
が、この作品の全てだと言っていい。しかし、実空間での出来事と
仮想空間での出来事が等価に描かれ、物語りのクライマックスでは
その両空間での実在と虚像とが、スリリングに交錯する展開はなか
なか見事である。                      
 そして、多少饒舌過ぎるところはあるが、人間の精神(脳機能)
の根幹に潜むメタウィルス説を解き明かすために、シュメールにま
で起源をもとめ、宗教史と言語史に仮設を与えていくところなどは
なかなか面白くもあった。主人公ヒロとライブラリアンの対話は、
充分面白く読むことができた。                

 さて、このニール・スティーブンスンという作家であるが、実は
もっと底深いのかも知れない。マッキントッシュ・ナードであるら
しい。そもそもマッキントッシュ上でイメージの入ったグラフィッ
ク・ノベルとして着想されたとのこと。テキストではなく、グラフ
ィカルなイメージとして表現されることを前提としたならば、聊か
趣きは異なってくる。いずれにしても、私のスティーブンスンに対
する見方は、次作『ダイヤモンド・エイジ』を読むまで留保させて
いただこう。また楽しみがひとつ増えた、ということだね。   




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