SF-tuzureoriA9

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-10)

−1998年6月13日−


『リングワールドの玉座:ラリイ.ニーヴン』
『地球最後の日:P.ワイリー&E.パーマー』
『神の鉄槌:A.C.クラーク』


 『The Ringworld Throne』      

 最近、80年代のリバイバルに出会うことが多い。たとえば、C
ATVで<マイアミ・バイス>を見る。ドン・ジョンソンも好きだ
ったが、毎回当時の大物ミュージシャンが登場するのも見逃せなか
った。今日の昼間、CATVで録画した<ディーバ>を観た。なん
だか、好きだったものには愛着心があって、何度でもそこを訪れる
ことができるのだろう。久しぶりに出会う、好きだったもの。  
 <プタヴの世界>で大ファンになったラリー・ニーヴン。ノウン
スペース・シリーズは欠かさず読んできたし、とりわけ<リングワ
ールド>は大好きだった。そういうラリー・フリークにとって本当
に待ち遠しかった<リングワールド>第3弾。この遠大な閉鎖系で
ある<リングワールド>に約10年ぶりに出会える、と思うと書店
の店頭でたまらなくなってしまった。サラリーマンであるおじさん
は原則として文庫読者なのだが、今回は即座に単行本を購入した。
今月はちょっときつい会計になってしまう。しかし、あのルイス・
ウーに、猫族クジン人のスピーカートウアニマル改めハミイーに、
そして双頭のパペッティア人に、また出会えたのだから良しとしよ
う。そして、直径1億9千万マイルの巨大環状世界が招いている。
 本作は正直に言って、どんな新奇なしかけも、また心を揺さぶる
インパクトがあったわけではない。10年たっても色褪せない壮大
な<リングワールドふたたび>の世界の正統な続編である。前作が
The Ringworld Engineersだったことを思
えば、今回がThroneとくることは頷ける。実際、本作の背景
は前作でしっかりと準備されていたのだから。ラリーは、<神>と
いう概念を守護者<プロテクター>に、そしてリングワールドの玉
座にナイト・ピープル<夜行人種>を据えることによって論理的な
整合を図った、と言ってもいい。このあたりの西欧の作家の関心の
パターンは変わらないな、とも思う。しかし、<宗教>的に昇華さ
せることなく、ギリシャ神話的な閉じた世界として描ききったこと
にはシンパシーを覚える。今回も、ヒト型種族の性的な交流である
<リシャスラ>の描写は見事である。レッドハーダー<赤い牧人>
のカップルが自らの種族の<禁忌>を破る葛藤を描いたあたりは、
ラリーらしい筆致で描かれている。プロテクター同士の闘争は、世
界を混乱に招かないための葛藤として描かれる。これもギリシャ神
話を彷佛とさせる。といったあたりで、この作品はあまり解釈せず
に、ルイス・ウーの(或いはマシンピープルのヴァラの)冒険活劇
として読んだほうがいいのかもしれない。           
 しかし、いつも思うのだが、訳者・小隅黎氏の「TANJ」(神
も仏もないものか、という意味の原文There ain’t n
o justiceの略)を『カホナ』と訳したセンスには脱帽。


 『地球最後の日』『神の鉄槌』              

 映画ファンで事情通の方にはピンとくるであろう。広島でも間も
なく公開されるスピルバーグの『Deep Impact』の原作
といわれるニ作である。特にフィリップ・ワイリーとエドウィン・
バーマーの共作である『地球最後の日』は、これが本当に1930
年代に書かれた作品なのか、と思えるほど素晴しい。勿論、現在の
私たちから見れば色褪せて見えるところは幾らでも指摘できるのだ
が、当時これだけの構想力で描き切っているところが素晴しい。や
はり、こういうところがSFの素晴しいところなのだろう。   
 さて巨匠クラークの『神の鉄槌』。こちらは、クラーク自身が執
筆当時、並行して進めていた『宇宙のランデブー4』をG.リーに
任せてしまい、本人はこの『神の鉄槌』に精力を傾けていたという
エピソードが納得できるほど、クラークらしさに溢れている。まあ
肩も凝らずに読める作品である。文庫版の後書きに嬉しいニュース
があった。『宇宙のランデブー』の映画製作が準備段階にあるとの
こと。日頃、SFマガジンの類いの雑誌は一切読まないおじさんと
しては、本当に朗報であった。嬉しいことだ。         









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