SF-tuzureoriA8

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-9)

−1998年5月26日−


『グリンプス:ルイス.シャイナー』


 読み始める前には、お馴染みの60’Sかと、多少気持ちは敬遠
気味だったのだが、読み始めるとつんのめるようにのめり込んでし
まった。主人公や著者や訳者たちと同様に、私も60年代のロック
小僧だったのだから、致し方ない。まるまる2週間は、この作品と
シンクロしていた。随分と気疲れもした。           

 60年代の幻想と挫折。私は団塊の世代、ベビーブーマー達より
数周おくれのランナー。東大安田講堂の攻防のときは中学生。  
 あの68年から69年の激動は、世界中にシンクロしていたこと
を強烈に想いだす。米軍基地と川ひとつ隔てた中学時代。FEN(
米軍の極東放送)を聴き、ブリティッシュ・ロックFC(ファンク
ラブ)やグランドファンクのFCに入っていた。        
地方の小都市の少年にも、音楽は同時代に生きている鮮烈な風だっ
た。おっと、詰まらぬ饒舌に陥るところだった。私もまた『いまと
いう瞬間に乗り遅れまい、少なくとも、それに少しでもふれて、で
きればそれが消えてなくならないうちにわずかなかけらなりともむ
しりとっておきたいという、必死の思いに駆られて』いたのだ。こ
れは、「ジミ」という章でワイト島フェスティバルについて語られ
たフレーズである。60年代後半から70年代にかけて疾走し、そ
の分だけ逆走もした。そのどこにも、ロックがあった。(蛇足なが
ら、ダンモからフリージャズへと、私のなかにはもうひとつの潮流
もあったのだが。)                     

 そんな想いや、自分の過去のエピソードをひとつづつ呼び起こす
ほど、この作品に登場するロックミュージシャンや楽曲は、私には
切実なものであった。                    
 ラジオからはじめて聴こえてきた<ゲットバック>。残念ながら
私にはビートルズは優等生すぎた。私のアイドルはストーンズだっ
たのだから。<アンダーマイサム>を聴きながらはじめて吸った煙
草と、ウィスキーのコーク割り。この<ゲットバック:帰還>が最
初の章である。うむ、このあたりでは未だ、この作品は40を前に
した主人公レイの<夢想>としか感じられなかった。次の章でその
想いは吹き飛ぶ。そう、リザード・キングことジム・モリソンが登
場し、私はこの作品の闇深くに引きずり込まれていく。ドアーズは
私にとっても特別なバンドであった。その想いを共有する者にしか
、主人公レイと一体となったタイムトリップは可能ではないのかも
知れない。先日、CATVで映画『ドアーズ』を見た。なんだか、
ジムが亡霊のように付きまとっている。それは暗い60’S。  
 次の章ではビーチボーイズ。というかブライアン・ウィルスン。
うーむ、私にとってはビーチボーイズはBGMでしかなかったので
あまり思い入れはなかったのだが、この作品を読み、深い興味を覚
えた。いつか、ゆっくりと聞き直してみたいものだ。そして、最後
に登場するジミ・ヘンは私にも神様だった。クリームと同じくらい
に。ジャニスと同じように。もう、これくらいにしよう。たぶん、
私とはまったく異なった読み方も可能なのだろう。私は、私の私小
説のように読んでしまった。だが、遍在する元ロック小僧たちは似
たように、この作品に呪縛されてしまうのではなかろうか。   

 これがSFかどうか、という議論に意味はない。       
 しかし率直に語れば、この作品はルイス・シャイナー自身の私小
説である。ロックというテーマを得て普遍性を獲得したとも言える
だろう。だが、ルイスはこの作品の向こうに、どのような地平を見
いだせるのだろうか。                    
 訳者、小川隆氏がこれほどのロックフリークとは知らなかった。
巻末の訳註は、逸品である。                 









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