SF-tuzureoriA7

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-8)

−1998年5月5日−


『スロー・リバー:ニコラ.グリフィス』


 いい作家、いい作品に巡り会うと、よい緊張感を得ることができ
る。久方ぶりに、そう前々回でふれたP.オリアリーに続いて、ま
た心地よい神経系への刺激と興奮を得て、感謝である。     
 96年のネビュラ賞受賞作品。だから素晴らしいとはかぎらない
のだが、この作品を読むかぎり、受賞は頷けるだろう。     

 近未来の「下水処理場」を舞台に、バイオテクノロジーの進化と
リアルな<危機>の描写は作家の筆力を窺わせる。勿論、その背景
には、作家の<現在>への緊張感を孕む視線が潜んでいる。   
 文句なく、面白い。是非、一読されたい。          
あまり、作品自体の解説はしないことを心掛けたいのだが、物語の
切れ味の良さと、加速するテンポにはふれておきたい。物語の概観
を把握できると、非常に読みやすく、巧みな構成となっている。 
物語は大まかには、三つのシチュエーションを交互に配置すること
によって、緊張感を維持している。主人公のローアの少女時代、こ
の物語の基調となるローアの誘拐事件とスパナーとの同棲生活、そ
して偽名での「下水処理場」での労働、この三つの場面が交互に語
られる。後半でローアの少女時代の<怪物>の正体が判明してから
も、この原則は貫かれ、種明かしのあとも緊張感を維持し続ける作
家の力量は本物だ。素晴らしい。               
 今さら、作家が男性であるか、女性であるかといった規範は不要
だろう。<女流>という蔑称も不要である。しかし、主人公のあま
りにもセンシティブな少女時代の心理描写や、女性同士の性愛の自
然さは、やはり女性のものであるだろう。だが、この点を除けば、
作品自体の価値と、作家の力量にのみ批評的視線は存在してよい。
 ニコラ自身の経歴を読むと、どうしても家族との葛藤に<家>を
捨てる主人公を、ニコラ自身に重ね合わせてしまうが、それだけニ
コラ自身にとって切実な主題であったのだろう。その切実さが読む
側に伝わってくるだけに、90年代後半を代表する作品として評し
て良いと思う。ポストフェミニズムの在り様を示した、と言っても
よい。                           
 子供への虐待や、ゲイ文化の未来的姿としての「クィア」ライフ
スタイル、そして揺らぐアイデンティティなど、作家が<現在>へ
斬り込もうとしているベクトルは共感を得るだろう。その点からも
興味深い。                         

 さて、このGWの間に子供たちと「スターシップ・トウルーパー
ズ」、そう、あのハインラインの『宇宙の戦士』を映画館に観に行
った。娯楽作品としては楽しめた。結構、原作に忠実であるのが滑
稽でもあった。だって、1959年の想像力の地平で書かれた作品
を、そのまま現在のビジュアル技術で映像化しても、どうしてもギ
ャップが残ることは否めないであろう。もっと、大胆にリメイクし
ても良かったのではないか、と思う。しかし、この系譜の作品なら
ばカードの『エンダーのゲーム』のほうがずっと面白い筈だ、とも
思う。まあ、ハインラインのほうがずっと単純だから、映像化しや
すかったのだろう、とも言えるが。ところで、蛇足。三月にふれた
D.ブリンの『ポストマン』。これも映画館に足を運んだ。こちら
は映画の不人気通りの作品であった。原作の一部を映画化して、矮
小化しただけ、と言ったらケビン・コスナーに失礼であろうか。 
期待して出掛けただけに、残念であった。「エイリアン4」はビデ
オになったら、自宅で何度も見ることにしよう。しかし、あの「ブ
レードランナー」のように、観る者を揺さぶるような作品は出現し
ないのであろうか。期待は持ち続けたいものだ。        









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