SF-tuzureori9

TommyおじさんのSF綴れ織り(98-1)

−1998年1月28日−


『花粉戦争:J.ヌーン』

 原題はPOLLEN(花粉)。               
前作のヴァートでは<羽>を喉の奥に差し込むことによって、恰も
ドラッグのような桃源郷の<夢>の世界へ没入できる、という設定
だった。今度は<花粉>と来た。               
 <花粉>や<羽>のイメージから、およそ現在のコンピュータ・
システムから連想される無機質でメカニックな或いはメタリックな
エレクトロニクスの世界とは縁遠い、と錯誤してはならない。  
 この作者、ジェフ・ヌーンは決して一筋縄で括れるような作家で
はない。だから、私はこの作家に魅了されている。       

 先ず前作『ヴァート』から読まれることを、絶対にお勧めする。
『ヴァート』も異様な近未来の世界を描写していた。全編を通した
緊張感。現在のエッジに拮抗する感性が瑞々しかった。     
 いたるところにガジェットやギミックが鏤められていて、勿論そ
れ自体を楽しむことはできるのだが、読み終えて「いったい、この
作品は何を暗喩していたのか」と考えてみると、実に奥深い。  
 私たちは既に『人工知能』『仮想現実』の扉を開いてしまった。
この作品は、『仮想現実』の世界が有機的なシステムとして具現化
したとき、「私たちの実在とは何なのか」と問い返している。  
いや、このような感想では、底浅い。             
 私たちが<実在>として信じている世界や自己自身が、『仮想現
実』という鏡像に出会ったとき、本当に自らのリアリティを確信で
きるのか、と問うている。                  
 現在では未だ感覚的な差異として、有機的な存在としての私たち
にとって<無機質>なものへの異和を受感するセンサーさえあれば
「なにが人間的か」を信ずるに足りる感性的な根拠があると思うこ
とができた。ところが、仮に『ヴァート』で描かれるような『仮想
現実』の世界が有機的なシステムとして構築され、ネットワークさ
れたとしたならば、更にバイオテクノロジーの進化によって異種間
の混血が可能となったならば、私たちはいったい何を<信ずる>こ
とができるのだろうか。私たちもまたひとつの有機的、生物学的シ
ステムとして現存しているにすぎないからだ。         

 こうした類推を、<空想>と言ってもよい。ただし、量子コンピ
ューティングやDNAコンピューティング、さらにはナノテクノロ
ジーがブレークスルーするとき、私たちは<空想>の貧しさを嘆く
ことになるだろう。もっと豊かな<空想>を蓄積すればよかったの
に、と。J.ヌーンはただ「もっと空想を」とアジテートする。 

 しかし『ヴァート』の世界は、巧みなギミックによって擬装され
ており、ヴァートという名前の<羽>を喉の奥に差し込むと<夢>
または幻覚の世界へトリップする。さらに人間と犬の混血種や、人
間と屍体との混血種、さらには無機的パーツを備えた混血種まで登
場するので、これを『オカルト』と評したり、サイケデリックノヴ
ェルと名付けることも致し方ないだろう。だが、この作品は根柢の
ところでは、結局『人間とは何なのか』と問うている。     

 続編の『花粉戦争』では、『ヴァート』とは有機的な仮想現実の
システムへのインターフェース、または記憶装置として<羽>があ
り、さらにはその世界そのものが『ヴァート』である、と言明され
る。それは発見された有機的世界であり、かつ人為的に構築された
「物語」の世界である、とも語られれる。           
 『ヴァート』の世界の住人、ヴァート生物が今回は鮮明な姿で現
れる。彼らは「物語」そのものであり、人類の歴史そのものである
と。なんと首尾一貫したことか。『物語』の住人は、定まったプロ
ットに反逆しようとし、現実と『ヴァート・物語』の世界が綻ぶと
ころに主題である『花粉』を出現させる。そして新たな闘争がはじ
まる。真性人間に対して、異種交配によってうまれた人間との混血
種としての犬族、ロボ族、シャドウ族、そしてとヴァート生物と多
様な多民族世界ならぬ多混血種の世界。それもバイオテクノロジー
の<負>の遺産としての雑婚によって出現した世界。      
 こうした擬態は、すべて<現在>の人類のフィギュアとして語ら
れている。つまり、J.ヌーンもW.ギブスンと同じベクトルを有
している。実は「未来を語っているのではなく現在について語って
いるのだ」と。                       
 この作品の舞台となる<マンチェスター>。街の現存性が、「サ
イバー・マップ」として保存されるかぎり、街は有機的に機能する
が、一旦そのマップを失うと音を立てて揺らぐ。世界をディジタル
な地図に変換したならば、その途端に世界は自らの現存性をディジ
タルなマッピングに依存してしまうことになるのではないのか。 
おそらく普遍的なテーマではないか、とすら思える。      


 この作品『花粉戦争』によって、『ヴァート』の世界はあまりに
も鮮明に姿を現わしてしまった。たしかに、J.ヌーンの『ヴァー
ト』の世界は明確に構築されたと言っても良いのだが、もっとマヌ
ーバーのままでも良かったような気もする。ちょっと怪しいところ
も魅力のひとつだったと思うからだ。             

 さて、この作品のもうひとつの魅力を忘れてはならない。   
 60年代ロックのオンパレード。それらをアンダーグラウンドで
発信する「海賊放送」。お楽しみもいっぱい、である。     
ご一読を!!                        







1