SF-tuzureori6

TommyおじさんのSF綴れ織り(6)

−1997年11月22日−


『グランド・バンクスの幻影:A.C.クラーク』

 地球の<海>。宇宙と同様に多くの未知を抱えた世界。    
<深海>を舞台に、多くのSFの名作が誕生した。最近ではデイビ
ッド・メイスの『海魔の深淵』を思い起こすことができる。<海>
の<未知>に惹かれるのは、<宇宙>と同様にその最果てを知り得
ないためかもしれない。そこでは<科学>もまだ赤子であり、これ
からの<挑戦>を信じることができるかもしれない。<深海>にお
いても未だに人類は<幼年期>にあるからだ。         

 敬愛する巨匠は本当にお元気だ。どうも「宇宙のランデヴー」シ
リーズはG.リーの筆致の強い作品となっていて、巨匠も衰えたの
か、と心配していたのだが、「3001」に続いて本作を読むかぎ
り巨匠の健在ぶりが眩しいほどだ。むしろ、ストーリー・テラーと
しての才能に恵まれたG.リーに「宇宙のランデヴー」シリーズの
ほうは任せて、自分の書きたい作品、つまり本作に傾注していたと
いうのが真相のようだ。                   

 本作は幾つかのキーワードを並べると全て語り尽くせるのかも知
れない。『タイタニック』『M集合』『フラクタル』『エイダ』。
『タイタニック』は、今年映画も流行っているようで、85年前に
悲劇の主人公となった英国の巨船は、今も人を惹き付ける魅力があ
るのだろう。本作では悲劇から100年たった2012年が舞台と
なり、タイタニックを引き上げようとする2つのプロジェクトの進
行がメインストリームとなる。勿論、<深海><タイタニック>と
いうテーマはクラークらしいのだが、本当にクラークが書きたかっ
ったのは『M集合』や『フラクタル』の方ではなかったか、と思え
て仕方がない。                       
 コンピュータのソフトウェア開発に携わった人ならば、誰でも知
っている、かの<エイダ>。(嘗て「エイダ」というプログラム言
語を勉強したこともあったなあ。)その<エイダ>に因んだ名前を
持つ女の子が、自宅の古城の湖を<M集合>、フラクタルの図形の
かたちに造り変えてしまうくだりは、クラークの関心のベクトルを
明示している。インターネットの検索エンジンで『フラクタル』と
いうキーワードを入力すると、何千というURLを表示してくれる
だろう。そして、容易くフラクタル幾何学の不思議な美しさに出会
うことができるだろう。その妖しいまでに美しいフラクタル。貴方
は、その西方に「竜の住処」や「冥王星の彼方のクェーサー」を幻
視することができるかもしれない。マンデル・マニアさえ存在する
というフランス人の数学者ブノア・マンデルブロー。その名を冠し
たM集合はクラークの言う通り、20世紀最後の10年に数学界を
揺るがしたものなのかも知れない。高速で演算し描画のできるコン
ピュータの進化なしには、出会うことのできなかったマンデルブロ
ー集合の生み出す図形の神秘さは見るものを飽かせることはない。

 全編を通して、この作品はクラークらしい<科学への信>に満ち
溢れている。或るひとは、これをクラークらしいペダンティズムだ
と見るかもしれない。また、或るひとはこれを古典的な<知>の信
仰だと言うかもしれない。クラークは今も科学技術の最先端に追随
することのできる若々しさを保っているだろう。しかし、彼の信ず
る通りに、私たち人類は恒星間宇宙を自由に往来し、自分たちが何
処からやってきて、何処へ行こうとしているのかを知る日が来るの
だろうか。現在、私たちの為していることの純粋な延長上にその日
はやって来るのだろうか。                  

 物語としてはあまりにも高揚感のないまま淡々とした進行だった
という印象が強い。幾つものエピソードがタペストリーのように絡
みあってはいるのだが、ひとつひとつを見るともっと書き込む余地
があったように思えてならない。クラークの老いが、書き急がせた
のだとすると残念でならない。しかし、まだまだクラークの作品に
出会うことができるだろう、と思わせてくれた力量には感謝したい
と思う。次作にも期待しよう。                









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