SF-tuzureori4

TommyおじさんのSF綴れ織り(4)

−1997年11月7日−


『天を越える旅人:谷 甲州』

 reincarnation <輪廻転生>。        

 私たち人類は、原始以来この「霊魂が死後転生を、再生を繰り返
す」という思想を引き摺ってきた。原始以来、あらゆる時代に、そ
して世界各地に似たような思想が存在してきた。おそらく、人間が
<夢>をみる動物だからだ。                 
 「霊魂の遊離」などという体験は<夢>の体験を抜きに再構成す
ることはできない。だからこそ、あらゆる人類が<夢>をみること
によって、「霊魂の遊離」を擬似体験することができる、と言い換
えてもいい。                        
 切り口を変えるならば、<類>としての「遺伝子の連鎖」を「輪
廻」とみることさえできる。だが、<ひと>はどうして自らの死後
も、この世界に執着するのだろう。自らの<死>をどうして淡々と
誰もが通過する個体の終幕として、冷静に受けとめることができな
いのだろう。私たち一人ひとりは、まるで短距離走者のように<同
時代>を駆け抜けていく。その<生き急ぐ>感覚はますます加速し
そのスピード感に感性を磨耗していく。誰もが、<癒し>を渇望す
る。どこにも私たちの渇望を癒すものなどありはしないのに。  

 私は日本のSF作家の作品は殆ど読んだことがない。好き嫌いで
はない。ただ、あまり食指も動かず、読まずに過ごしてきただけの
ことである。しかし、この1年ほどの間、立て続けに「谷 甲州」
の作品を読み続けてきた。最近の作品では「終わりなき索敵」「遥
かなり神々の座」も面白かったし、「星は、昴」という短編集も堪
能できた。                         
 だが、本書「天を越える旅人」はそのスケールの大きさに圧倒さ
れた。一気に読み進んだ。下手をすれば、俗悪になりそうな<輪廻
転生>という主題を、こんな風に表現できる日本の作家がいたのだ
と独り得心したのだった。                  

 イントロから主人公<ミグマ>のみる夢に吸引されていく。私は
訪れたこともないチベットの高山を、僧院を、ある種の既視感のな
かで体験する。このあたりの巧みさは、谷甲州が秀でた山岳小説家
でもある、ということから推量できる。この小説は非常によくでき
た山岳小説であるといってもいい。しかし、その構想はもっと大き
な野心に突き動かされている。谷甲州自身の後書きによれば「アイ
ンシュタイン以後の宇宙論を仏教的な世界観で再構成できるだろう
か」という問題意識に突き動かされている。惜しいことに、それを
実感できるのは終結部に近い後半部分に入ってからである。おそら
く前半から中盤までは、<チベット><輪廻><山岳仏教>といっ
たキーワードで物語の織り糸は読めてしまうだろう。これだけなら
ば少し毛色の変わったファンタジーに留まっていただろう。   
 しかし、<ミグマ>は曼陀羅にフラクタル図形を見る。そして問
う。『時間と空間の概念の統合することは可能なのか。物体とその
エネルギー、或いは力と運動の法則は統合が可能なのか。すべての
情報を記述する式は存在するのか』と。ここから仏教の概念と現代
物理学のそれとを結び付けていく過程は、いささか強腕にすぎると
も言える。それでも、この作家の関心の有り様を手にとるように受
感することができる。現在の日本のSF界では、この作家が希有な
存在なのかどうかは、私には不明である。しかし、当分の間、この
作家に注目してみたい、とも思っている。           









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